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マフィア(伊:Mafia)とはシチリア島に存在する犯罪者による秘密結社の通称。正式名称はコーサ・ノストラ。19世紀より本拠地シチリアから恐喝や暴力により勢力を拡大、市民生活にまで影響を及ぼす存在となる。20世紀における最も著名な組織犯罪の固有名詞であるため、他の民族や他の地域の組織的な犯罪、暴力集団もマフィアと呼称される。 さらには、市場における規制の網をくぐる存在として匿名の投機筋も「金融マフィア」や「穀物マフィア」と呼ぶことがある。
起源1860年、統一イタリア王国にシチリア島が統合されたことが、歴史の変換点となった。王国とはいっても集まった人間の中身は右から左までばらばらでありシチリアの住民たちはそれまでの政治的な圧迫の記憶から中央に強い不信感があり、ここから伝統的に中道である大地主と保守的な宗教勢力に勃興する労働運動、さらにファシストによる混迷が生まれマフィアの躍進する素地が出来てくる。 マフィアの語源には諸説あり定説は無い。有力なのはアラビア語で採石場を意味するマーハ (mafie) 、空威張りを意味するマヒアス (Mā Hias) から来たというものである。シチリアは9世紀から11世紀までイスラム教徒のアラビア人が支配しており、支配に反抗した者や犯罪者がしばしば採石場に逃げ込んだという。 元々、マフィアという言葉は肯定的な意味で使用されていた言葉であり、「美しさ、優しさ、優雅さ、完璧さ、そして勇気ある人、大胆な人」という意味で使用されていた。この意味での言葉が初めて公文書に使われたのは1656年パレルモでの異端尋問においてであり、異端とされた者のリストの中にこの言葉が使用されている。現在のような秘密結社、犯罪組織を意味する言葉として初めて使われたのは19世紀以降からであり、現代の意味でこの言葉が広く知られるようになったのは1862年に制作された喜劇「ヴィカーリア刑務所のマフィア構成員たち(I mafiusi de la Vicaria)」がパレルモのサンタンナ劇場で上演され大ヒットしイタリア各地で巡演されてからである。 また公文書においては1865年、パレルモ知事であったフィリッポ・グァルティエリ伯爵が内務大臣に提出した文書において使用されたのが最初である。また、マフィアという名前は使用されていないが、マフィアを暗示する組織の存在が公文書に載ったのは1838年、トラパニ市の検事ピエトロ・ウッロワが司法大臣に宛てて書いた報告書が最初であるとされている。 また、有名な話としてシチリアの晩鐘にまつわる以下の逸話があるが、イタリア語として不自然で、後に創作された俗説である。
概要主な活動内容は麻薬取引、暗殺、密輸、密造、共謀、恐喝及び強要などであるとされる。結社としての盟約は一言で言えば「名誉」である。家族、一族、村、地方の全ては名誉を守るという一点より結ばれており、これを傷つける者には一切の容赦をしない。また仲間に対する信義は命がけで守らねばならない。経済的な貧困という背景もあるが、現代においても良くも悪くも中世の精神的血脈を保ち続ける異色の存在である。 イタリアのマフィアイタリアでは主に労働運動などを扇動し、デモなどを通じて会社や政治への関係を強めたとされる、一時期アメリカで流行った「共産主義者はマフィアと同じ」といわれることの遠因の一つと思われる。 1992年に、マフィアに対する捜査を率いて国民的人気を得ていたジョヴァンニ・ファルコーネ判事が、シチリア島のパレルモを車で移動中にサルヴァトーレ・リイナ指揮下のマフィアによって高速道路に仕掛けられた爆弾によって暗殺されたことで、イタリア国民のマフィアに対する怒りが頂点に達し、その後マフィアに対する取り締まりが強化したこともあり、近年では殺人などの凶悪犯罪は減ってきているとされる。 しかし、代わりにみかじめ料(縄張り地域で営業する店舗から喝取する占有料)や法外な高利貸しなどで巨額の収入を得ている事から、イタリアのANSA通信(it:ANSA)は、マフィアを「イタリア最大の企業」だと皮肉っている[1]。 イタリア系アメリカマフィアシチリア島起源のマフィアは、イタリア人のアメリカ大陸への移民が増えるにつれて、アメリカ大陸においても同様の犯罪結社を作り定着することになる。本来イタリア系移民の中で結ばれた相互扶助の形式から発達したとされる。『ゴッドファーザー』ではコッポラが実際に聞いた、家主に追われそうになった寡婦をゴッドファーザーが仲介に入り問題を解決したエピソードが紹介されている。 シチリア島のマフィアは、1920年代から1930年代にかけてベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権によって徹底的に弾圧され壊滅的な打撃を受けた。このとき一旦衰退したマフィアは、第二次世界大戦中に対伊攻略のためアメリカ政府が利用した在米イタリア系マフィアによって、言わば「逆輸入」される形で再建されて現在まで至る。なお、今日においてアメリカのイタリア系マフィアは不動産業など合法的なビジネスに変わってきている 他の犯罪組織シチリア島の「マフィア」が犯罪結社として有名になったため、コルシカ島のユニオン・コルス(コルシカ・ユニオン)、ナポリの犯罪組織「カモッラ(Camorra)」、カラブリアの犯罪組織「ヌドランゲタ(Ndrangheta)」、プッリャの「サクラ・コロンナ・ウニータ(Sacra Corona Unita)」、ローマの「シカーリ」なども報道等では「マフィア」と呼ばれることがあるが、厳密には区別される。 地中海で謂う「ミリュー」とは、組織ではなく闇社会全般を指す。異色の経歴を持つ作家で映画人のジョゼ・ジョヴァンニが「ミリューの事を知らない人間が平気で語っている」と嘆じたのはこれである。 構成ここでは、コーサ・ノストラ(イタリアのマフィアもほぼ同様)を例に解説する。 構成員マフィアの呼称は日本では組織も個人も区別せずに使用しているが、マフィアは犯罪組織を指し、厳密には誤りである。正確にはマフィア構成員を指す言葉は「マフィオーソ(mafioso)」[2]である。 マフィアは秘密結社の伝統を引継ぎ少数精鋭主義で、正式構成員(マフィオーソ)の人数は少なく、大きな組織でも100人程度、通常は50〜60人程度であるが、その数倍以上の準構成員を擁している。 組織構成マフィアの各組織はファミリーと呼ばれ、首領(ボスあるいはドン、カポとも言う)、アンダーボス(underboss…暴力団の若頭に相当)をトップとして、複数のカポ・レジーム(capo régime、幹部、カポあるいはキャプテンとも言う)の率いる二次組織(英語では"crew"と呼ばれることが多い)に各ソルジャー(構成員)は属しており、ピラミッド型の構成となっている。その他に、コンシリエーレ(consigliere、顧問)と呼ばれる役職がおかれているが、これは通常カポレジームを通してしかボスやアンダーボスと接触できないソルジャーがカポ・レジームと問題を抱えた時に直接相談できる役職として設けられた。また、それぞれのソルジャーの配下には何名かの準構成員(Associate)がおり、この準構成員の民族構成についてはイタリア系アメリカ人あるいはイタリア人以外の人物も含まれている。 「ファミリー」と「コミッション」基本的には各都市に1ファミリーであるが、ニューヨークのみはメンバーの数が他の都市よりはるかに多いため、5つのファミリー(五大ファミリーと呼ばれる)に分かれている。シチリアを除くと全米に20以上のファミリーが存在しその他カナダ、ベネズエラ、オーストラリアにも存在している。 全ファミリーを統括するものとしてボスの集まりであるコミッション(commission、全国委員会などとも訳される)と呼ばれる組織があるが、必ずしも全国のファミリーが一堂に集まるわけではなく、五大ファミリーのボスだけが集まるものもコミッションと称している。また、シチリア・マフィアにもアメリカのものとは別に「シチリア・コミッション」が存在している。 「服従の掟」と「沈黙の掟」アメリカ及びイタリアのマフィアには服従の掟(上位構成員には絶対服従すること)及び沈黙の掟(オメルタ、omertà)」(組織内部のことは絶対に洩らしてはならない)と呼ばれる掟と、それを破ったときの凄惨な制裁(行方不明になり、のちに惨殺体で発見される例が最も多い[3][4]。 他の構成員に対する見せしめの為)に加え、正式構成員が少人数であることと相まって、マフィアの全容解明を困難なものとしている。近年はアメリカ当局もこれに対抗、FWPP(Federal Witness Protection Program 連邦証人保護プログラム)を適用して保護するなどの対策を採っている。 日本におけるマフィア活動日本との関係では、太平洋戦争後間もない時期にアメリカ領フィリピンのマニラの賭博師だったテッド・ルーインやシカゴのチェーソン・リー(中国系でアル・カポネの子分)が、連合国占領下の東京に進出。ルーインは銀座に「マンダリン」という店を出して闇賭博場を開いたことがあるとされる。例えば、読売新聞は目玉の社会部が「東京租界」シリーズで彼らや中国系ギャングの活動を取り上げている。当時の社会部記者の一人に「ブラックジャーナリズムの帝王」となる正論新聞の三田和夫がいる。 シチリア・マフィアの人物
有名なアメリカマフィアの人物
関係者(と言われていた者)
「本家」以外の「マフィア」最近では、アメリカのイタリア系マフィア(コーサ・ノストラ)の他、大規模で組織化された犯罪集団も「○○・マフィア」と呼ぶことが多く、以下に挙げる。
脚注
関連文献
関連項目文化におけるマフィア関連項目
外部リンク
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