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ワッハーブ派は、18世紀にアラビア半島内陸のナジュドに起こったイスラム教の 改革運動である。宗派としてはスンナ派に属するが、その下位宗派に数えられる場合もある。法学的には、イスラム法学派のうち厳格なことで知られるハンバル派に属す。 創始者はムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブ(ワッハーブ)。一般にイスラム原理主義と呼ばれて知られている復古主義・純化主義的イスラム改革運動の先駆的な運動であると評価される。 ワッハーブは、18世紀半ばに、コーランとムハンマドのスンナに戻り、イスラム教を純化することを説き、当時ナジュドで流行していた聖者崇拝、スーフィズムを激しく排撃した。ナジュドの豪族であったサウード家のムハンマド・イブン=サウードは、ワッハーブの教えを受け入れて彼を保護し、ワッハーブ派の運動を広げつつ勢力を拡大した。こうして形成されたサウード家の国家をワッハーブ王国と呼ぶが、19世紀初めにオスマン帝国と敵対してムハンマド・アリーに滅ぼされた。また、18世紀前半にはメッカ巡礼者サイイド・アフマドによってインドにも伝えられたが、1824年以後にシク教徒に対するジハードを宣言したが、彼の没後その勢力拡大を危惧したスンニ派・シーア派がイギリス当局とともにこれを抑圧して1870年代には消滅に至った。 その後ワッハーブ派は雌伏を余儀なくされたが、20世紀初めにサウード家のアブドゥルアズィーズ・イブン=サウード(イブン・サウード)がリヤドを奪回してからのち復興した。サウード王国がナジュドとヒジャーズを征服してサウジアラビア王国を建国すると、ワッハーブ派はシーア派が強いイエメンを除いたアラビア半島の大部分に広がった。 ワッハーブ派は現在もサウジアラビアの国教であり宗教警察が国民に対して目を光らせている。また、王家が国庫を私物化しているという不満を受け止める存在ともなっている。同国出身のオサマ・ビンラディンも元々ワッハーブ派に属する信徒であったとされる。 中央アジアのウズベキスタンなどではワッハーブ派というと特別な響きを持つ(反政府的な態度を取る人たちにレッテル張りをし、矮小化する為にこの言葉が使われている)。 特色ワッハーブ派と他のイスラム宗派との根本的な違いは、極めて厳格なイスラーム法の遵守と男尊女卑などである。
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