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合衆国最高裁判所(がっしゅうこくさいこうさいばんしょ、Supreme Court of the United States、United States Supreme Courtと呼ばれることもある。略称はSCOTUS、USSC)は、アメリカ合衆国の最上級の裁判所であり、アメリカ合衆国連邦政府の司法府を統括する。合衆国憲法第3条第1節の規定に基づき設置された唯一の裁判所(他の連邦の下級裁判所は連邦法に従って設置されている)。 日本では連邦最高裁判所(連邦最高裁)と呼ぶことが多い。 合衆国最高裁判所は長官 (Chief Justice) と8人の陪席判事 (Associate Justices) から構成される。 最高裁長官と陪席判事は、大統領が指名し、任命するが、任命には上院の多数による助言と同意が必要である(合衆国憲法2条2節2項)。終身制であり、辞任する場合のほかは、弾劾裁判以外の理由では解任されない(同3条1節)。日本では最高裁判事が年を経て最高裁長官に昇格することが多いが、アメリカの連邦最高裁長官と陪席判事はそれぞれ個別に任命されるので陪席判事が長官に昇格することは極めて稀である。 州間の争いなどの限られた事件について第一審としての管轄権を有するが(憲法3条2節2項)、こうした事件はまれであり、ほとんどの事件は連邦下級裁判所または州最高裁判所からの上訴事件である。連邦法や州法、連邦や州の行政府の行為が合衆国憲法に反する場合には、これを無効とする違憲審査権が判例上確立されている。 合衆国最高裁判所は、首都ワシントンD.C.北東地区の最高裁判所ビルにある。
歴史連邦最高裁の歴史を語るとき、その時々の最高裁長官の名前でその時代を指し示すことが多い。 初代最高裁長官はジョン・ジェイである。憲法制定後しばらくは、最高裁判所が連邦政府において重要な役割を占めることはなかった。 この状況を大きく変えたのがジョン・マーシャル長官時代である。マーベリー対マディソン事件において、最高裁が違憲立法審査権を有すると宣言したほか、多くの重要な判決により、連邦政府の三権の一つとしての司法の役割を確立するに至った。一方、州裁判所に対する連邦最高裁の優位を確立する判決を下し、判決の執行に当たり州政府の抵抗を受ける場面もあった。また全ての判事が意見を発表するイギリスからの伝統を打ち切り、一つの多数意見を発表する慣習が作られた。この時代に唯一の弾劾裁判が開かれ、最高裁判事サミュエル・チェイスが訴追されたが、結局上院はチェイスを弾劾しなかった。 続くロジャー・トーニー長官時代(1836年-1864年)は、ドレッド・スコット対サンフォード事件の裁判で知られている。最高裁は、この判決で、奴隷制度の存続を許容し、これが南北戦争の原因の一つとなったと言われている。 南北戦争後のチェイス、ウェイト、フラー各長官の時代(1864年-1910年)は、南北戦争後の憲法の修正条項の解釈に取り組み、実体的デュー・プロセスの原理を発展させていった。ホワイト、タフト各長官の時代(1910年-1930年)にこの理論は頂点に達し、この頃から、連邦政府にしか適用がないとされてきた権利章典の一部を、憲法修正14条を通じて州政府の行為にも適用し始めた。 ヒューズ、ストーン、ビンソンの3長官の時代(1930年-1950年)には、現在の新しい建物に移った。またニューディール政策を支えるために大きく憲法解釈を変更した。アール・ウォレン時代(1953年-1969年)は、憲法上の市民権を広く解釈した多くの判決を下し論争を呼んだ。ブラウン対教育委員会裁判では人種隔離政策を違憲としたほか、プライバシーの権利を認め、学校での義務的宗教教育を制限した。またミランダ対アリゾナ州裁判など刑事手続における新たな判例が作られ、州政府にも適用される権利章典の範囲を広げた。 バーガー長官時代(1969年-1986年)には、中絶が憲法上の権利であると認めたロー対ウェイド事件やアファーマティブ・アクションに関するカリフォルニア大学理事会対バッキ裁判などで多くの論争を巻き起こした。選挙活動における支出制限を違憲とする判決を下し、また死刑制度については違憲から合憲へと短い間で判例を変更した。 ウィリアム・レンキスト長官時代(1986年-2005年)には、出訴権・労働組合の争議権・中絶権などを狭く解し、一方で連邦議会の通商条項上の権限を狭く解釈する二つの判決を出した。 現在のジョン・ロバーツ長官は2005年に就任した。 スケジュール最高裁判所では、10月の第1月曜日から4月末ころまでの間、隔週で月曜・火曜・水曜に口頭弁論が行われる。5月と6月は判決の言渡しが行われる。 構成
2007年現在のアメリカ合衆国最高裁判所。上段左からブレイヤー判事、トーマス判事、ギンズバーグ判事、アリート判事。下段左からケネディ判事、スティーブンス判事、ロバーツ長官、スカリア判事、スーター判事。
定員判事の人数は合衆国憲法には定めがなく、連邦議会による立法に委ねられている。当初は1789年裁判所法によって(長官を含め)6人と定められた。アメリカ合衆国の領土拡大にともない判事の数も徐々に増加し、1807年に7人に、1873年に9人に、1863年には10人となった。ところが1866年、アンドリュー・ジョンソン大統領による判事任命を嫌った議会は、次の3人の辞任については後任を設けないとする法律を定め、人員は自然減により1867年に8人まで減った。その後1869年に再度法律が改正され判事の人数は9人と定められ、以来現在まで続いている[1]。 フランクリン・ルーズベルト大統領は、ニューディール政策関連の立法について続々と違憲判決を出した最高裁判所に反発し、判事の人数の増員を試みた。このコートパッキング計画は、70歳に達しても引退しない判事1人について大統領に1人の新たな判事を任命する権限を与えるというもので、最大15人まで人員を増加できるものとされた。この法案は議会の承認を得ることはできなかったものの、最高裁は判例を変更しニューディール政策を合憲とする判決を下した。 任命大統領の指名合衆国憲法2条2節2項は、大統領が上院の助言と同意に基づき最高裁判所の裁判官を任命すると定めている。通常は、大統領と政治的立場の近い法律家が最高裁長官や陪席判事の候補となる。極端な見解を持つ候補者の場合は上院が承認しないこともあり、また実際に就任した判事が大統領の期待と異なる判決を下すことも多い。有名な例は、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領が指名したアール・ウォレン長官であり、大統領はウォレンが保守的な立場に立つことを期待したが、現在ではウォレンは最高裁の歴史の中で最もリベラルな判決を書いた判事と考えられている。アイゼンハワーは後にウォレンの任命について、「私が下した中で最も愚かな決定だった」と語っている。 上院の助言と同意最高裁裁判官の候補者の指名は大統領の権限であるが、任命には上院の「助言と同意」が必要である。大統領が候補者を指名すると、上院司法委員会で候補者に対する質疑応答と投票が行われ、続いて上院の本会議での投票が行われる。決定は単純過半数による。これまで上院が投票によって承認を拒否した候補者は12人である。上院による承認は大きな政治的争点となることも多い。最近では1987年にロバート・ボークの承認が否決されたほか、1991年のクラレンス・トーマスの承認手続ではセクシャルハラスメント疑惑が問題となり、52対48でかろうじて承認された。 上院本会議による投票までたどり着かない場合もある。例えば議事妨害により投票が行われない場合、上院司法委員会で否決される場合が挙げられる。また、上院の承認を得る見込みがない場合は、大統領が自ら指名を撤回することもある。ジョージ・W・ブッシュ大統領は2005年、辞任を発表したサンドラ・デイ・オコナー判事の後任としてハリエット・マイヤーズを指名したが、後にマイヤーズからの依頼により指名を撤回した。1987年にはロナルド・レーガン大統領が、マリファナ使用の疑惑を受けて、ダグラス・ギンズバーグの指名を司法委員会による審査の前に撤回している。 議事妨害による指名拒否の例としては、1968年にリンドン・ジョンソン大統領が陪席判事だったエイブ・フォータスをアール・ウォレンの後任の最高裁長官に指名した際、上院は議事妨害により承認を阻止した。 1980年代までは裁判官の承認は比較的速やかに行われ、トルーマン政権からニクソン政権の時代には1か月ほどで承認されていた。ところがレーガン政権以後は承認に時間がかかるようになり、これは最高裁裁判官が政治に果たす役割が拡大しているためでないかと指摘されている[2]。 休会任命大統領は合衆国憲法2条2節3項(休会任命権)に基づき、上院の休会中に欠員が生じた場合、上院の助言と同意なしに一時的に最高裁裁判官を任命することができる。この場合の裁判官の任期は次の上院の会期の終わりまでとなり、その後については上院の助言と承認が必要となる。休会任命された2人の最高裁長官と6人の陪席判事のうち、後に上院の承認を受けることができなかったのはジョン・ラトリッジ長官のみである。最高裁裁判官の休会任命には批判が強く、アイゼンハワー大統領以後、最高裁裁判官を休会任命した大統領はいない。 資格合衆国憲法上、最高裁裁判官となるために必要なキャリアに関する規定はない。 任期合衆国憲法3条1項は、最高裁裁判官は「善行を保持する限り、その職を保つ」と定めている。「善行」(good behaviour) は生命と同義と解釈されており、したがって最高裁裁判官は終身制である。裁判官は辞任、または弾劾裁判による罷免によってのみ職を離れる。弾劾裁判による罷免はまだ例がない。裁判官の空席は平均2年に一つ発生するが、交代がない期間が長く続くこともある。最近では、1994年のスティーブン・ブレイヤーの任命から2005年のウィリアム・レンキスト長官の死去まで、11年にわたって同じ9人の裁判官が審理に当たった。 その他の役割最高裁裁判官は、各控訴裁判所の判事としても任命されている。もともと1789年裁判所法に基づき、最高裁判所の判事が、巡回する各控訴裁判所の案件を処理することが求められていたためであるが、実際に各控訴裁判所にて審理を行う扱いは、1891年に廃止された。現在でも、最高裁判所の各裁判官は、「控訴裁最高裁判事(circuit justice)」として各控訴裁判所に割り当てられている。現在では控訴裁判所判事としての役割は、緊急の申立てなどの審理に限られている。 現在の最高裁現在の最高裁を構成するのは以下の9名である(判事は先任順)。
退官した判事存命中に退官した判事は、これまでサンドラ・デイ・オコナーだけである。オコナーは2005年に引退を発表し、2006年1月後任のサミュエル・アリートが就任した。 政治的傾向現在の最高裁の裁判官は、通常4人の保守派、4人のリベラル派、1人の中間派に分類される。保守派と言われるのが、ロバーツ長官と、スカリア、トーマス、アリト各判事であり、スティーブンズ、スーター、ギンズバーグ、ブレイヤー各判事がリベラル派と見なされている。ケネディ判事は中間派であり、保守対リベラルで激しく対立する事件においてはケネディの票が判断を左右することがしばしばある。 建物憲法制定以降連邦議会議事堂の中に置かれていた最高裁は、1935年に連邦議会議事堂の正面に建てられた現在の最高裁判所ビルに移転した。ビルは周囲の連邦議会議事堂や連邦議会図書館と調和するよう伝統的なスタイルで、カス・ギルバートにより設計され、大理石で覆われている。最高裁判所ビルは4階建てであり、中には法廷、判事執務室、図書館、会議場のほか商店、カフェテリア、ジムなども設けられている。最高裁判所の指揮下にある独自の警察組織が警備に当たっている。 最高裁判所ビルは連邦の休日を除き月曜日から金曜日の午前9時から午後4時半までオープンしており、展示や最高裁判所の紹介ビデオを見ることができるほか、カフェテリア、みやげ物店などもある。口頭弁論の傍聴も可能であり、口頭弁論の日には最高裁判所ビル前には朝から長蛇の列ができていることが多い。 管轄最高裁の管轄権は、合衆国憲法・連邦法によって規定されている。憲法上、以下に掲げられる事件についてのみ管轄権を有し、それ以外の事件については、管轄権を有しない。アメリカ合衆国における訴訟の大部分は、州の裁判所で審理される。
修正第11条は、連邦裁判所が「州政府が他の州の州民または他国民から提起された訴訟」について裁判を行うことを禁じているが、この条項の意味については争いがある。合衆国憲法は、大使・外交使節に関する事件および州が当事者の事件について第一審管轄権を認めているが、他の場合は他の裁判所からの上訴に基づいて審理を行う。現在では直接出訴される事件は、事実上州政府相互の事件のみといってよい。 また連邦法により上記管轄権はさらに制限されている。例えば、異なる州の州民間での訴訟は、現在では訴額が7万5000ドルを超える場合でなければ、連邦裁判所に提起できない。 1789年裁判所法にもとづき、連邦の下級裁判所だけではなく州最高裁判所(名前は州によって異なる)からの上訴を受理し判決を下すことができる。 憲法上「事件および争訟」についてのみ裁判権を有し、仮定上(ムート)の事件について判決を下したり、勧告的意見を出すことはできない。しかし、具体的な問題に対処するためでなく法律の合憲性の審査を目的として提起された事件についてしばしば審理している。プレッシー対ファーガソン裁判やブラウン対教育委員会裁判など多くの重要判決は、こうした試験的訴訟である。さらに、ロー対ウェイド裁判のように、事件がムートになっていても判決を下すことがある。 連邦最高裁は、上訴された事件全てを審理するわけではなく、連邦地方裁判所からの直接上訴が認められるごく限られた事件、州裁判所が連邦法や条約を無効とした事件などを除けば、上訴は裁量上訴(サーシオレイライ、certiorari)の申立てによらなければならない。申立ては4人の判事が賛成した場合に認められる。通常、重要な憲法問題やその他国家的に重要な論点を含む事件にしか裁量上訴を認めない。上訴される事件は年間7~8,000件あるが、そのうち裁量上訴が認められ、判決が下されるのは100件ほどにすぎない。 判例集最高裁の判決は通常、「Roe v. Wade, 410 U.S. 113 (1973).」という形で引用される。これは、1973年のロー対ウェイド裁判判決(上訴人ロー、被上訴人ウェイド)を指し、公式判例集である合衆国判例集(英: U.S. Reports)410巻113ページに掲載されていることを意味する。公式判例集の他に広く利用されている民間判例集として、最高裁判所判例集(Supreme Court Reporter、略はS. Ct.)とローヤーズ・エディテョン(United States Supreme Court Reports, Lawyers' Edition、略はL.Ed.)がある。 合衆国最高裁の判例は連邦の全ての下級審を拘束する(ただし、州法が適用される事件については、後述の点に注意する必要がある。)。合衆国最高裁は原則として判例を尊重するが、判例を変更することもある。 合衆国最高裁の判例は、連邦法に関して、州の裁判所を拘束する[3]。しかし、州法に関して、州の裁判所は、合衆国最高裁の判例に拘束されない[4]。州法が、合衆国憲法に違反して無効であるとする合衆国最高裁の判例は、連邦法に関する判断であるから、州の裁判所を拘束する[5]。 なお、逆に、州法が適用される事件について、合衆国裁判所は、州の最上級審の判断に従う必要がある[6]。したがって、合衆国最高裁が、州の裁判所の先例がない州法上の問題について自ら判断を下したが、その後、州の裁判所が、その判断と相反する判断を下した場合、合衆国の裁判所であっても、合衆国最高裁の判例ではなく、州の裁判所の判例に従うべきことになる[7]。 脚注
関連項目参考文献
外部リンク
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