|
Article on other languages:
|
緑の党(みどりのとう)は、環境主義(エコロジー)、多文化主義、反戦などを主な主義、信条とする政党・政治勢力。
欧米・世界のグリーン勢力1970年代から欧米諸国で台頭してきた、エコロジー、反原発、反核、軍縮、反戦、人種差別撤廃、脱物質主義、多文化主義、消費者保護、参加型民主主義、フェミニズム、社会的弱者の人権などをテーマにした「新しい社会運動」の流れで結成が進んだ政治勢力である。 その端緒となったのが、1980年の旧西ドイツにおける「緑の党」(直訳では「緑の人々」)結成(政治的組織化の動きは70年代後半から)であり、その後フィンランド、ベルギー、オランダ、フランスなど欧州各地で次々と結成されていった。 これらは通常、環境保護だけでなく平和外交・人権・産業構造・教育・社会保障・労働・食料など幅広い政策をもつオールラウンドな政党であり、平和で持続可能で社会正義のある新しいエコロジー社会を目指す。営利企業の自由を最優先する新自由主義的改革(およびそのグローバル化)、国民国家、ナショナリズム、軍事・治安国家化にも批判的である。 現在ではアメリカやアジアを含む多くの国々に緑の党が存在するが、最も強い政治基盤を確立しているのはヨーロッパにおいてである(いずれも少数派政党であるが)。政権参加の最初のケースは1995年のフィンランド緑の党 であり、最も長期のケースはドイツ緑の党の社会民主党との連立政権(1998年-2005年)である。 他方で、イギリス・アメリカ・カナダなど、小選挙区制・勝者一人勝ち式の選挙制度をもつ国では、緑の党は国政レベルにほとんど影響力をもてないでいる。そのためこれらの国の緑の党は、選挙制度の民主化に焦点を当てている。なおアメリカにおいても市議会などのローカルレベルでは議席を確保している地域もある(カリフォルニア州など)。 また環境問題には国境が存在しないためグリーン勢力は国際連帯にも熱心である。2001年4月16日にオーストラリアのキャンベラで、緑の党の国際組織であるグローバルグリーンズ(Global Greens、「緑の地球同盟」)が結成された。また2004年には、EU規模のヨーロッパ緑の党(European Green Party)、および北欧グリーンレフト同盟(Nordic Green Left Alliance)が結成された。 なお、緑の党の組織名称は英語で「Green Party」と「Greens」と言う二通りのパターンがあるが、日本語では両方とも「緑の党」と訳している。しかし、アメリカ合衆国の組織「Greens/Green Party USA」は両方の名称を党名に併記している為、同党の名称の決まった日本語訳が存在せず、米国で別個に活動している「Green Party」と混同される事が多い。 緑の党一覧
日本での試み1983年、河西善治がドイツ(当時は西ドイツ)緑の党をモデルとした「東京緑派」(DIE GRUENEN)を結成し、参院選に東京選挙区より出馬している。比例区ではMPD・平和と民主運動(現市民の党)への投票を呼びかけた。 1986年、元第四インターナショナル活動家太田竜らが「日本みどりの党」を結成。その後太田派と非太田派に分裂、太田派は「日本みどりの連合」を結成した。その後、「みどりといのちのネットワーク」として再統合、大石武一らの推薦を受ける。同時期、水の浄化を訴える「環境党」が結成されている。また、重松九州男らを中心に結成された「日本世直し党」も「日本版緑の党」を名乗っていた。 1989年、山本コウタロー、北沢杏子、円より子、田嶋陽子らを中心に環境保護とフェミニズムを掲げる「ちきゅうクラブ」が、また、作家の今野敏や元三重大学教員の坂下栄、反原発運動・環境保護運動の活動家らを中心に「原発いらない人びと」が結成された。共産主義労働者党や第四インターナショナルなど一部の新左翼勢力は「原発いらない」を支援した。 1992年、「みどりといのちのネットワーク」・「ちきゅうクラブ」・「原発いらない人びと」を合併する形で環境政党「希望」が結成。代表は元社学同系全学連委員長の農民運動家藤本敏夫。 1995年、「新党護憲リベラル」内の反自民党派と環境保護運動の活動家らを中心に「憲法みどり農の連帯」が結成。同時期、農民運動の活動家らを中心に「みどりといのちの市民・農民連合」が結成。 1998年頃より保守リベラル政党であった新党さきがけが環境政党として再出発を表明。後に代表となった中村敦夫は黒岩秩子と共に院内会派「さきがけ環境会議」結成。2002年、「みどりの会議」に改称。三木武夫・三木睦子夫妻の長女で無所属の参院議員だった高橋紀世子と中村が所属。2004年の解散後は「みどりのテーブル」に活動を引き継ぐ。 2007年、みどりのテーブルが中心となって参院東京選挙区に「無所属共同候補」として川田龍平を擁立し、当選する。また、司法書士の黒田恒一が環境社会主義党を結成して参院選に出馬することを表明したが、直前で出馬を辞退した。 地方政治においては消費者運動からスタートした「生活者ネットワーク」・「神奈川ネットワーク運動」・「ネットワーク横浜」や、市民運動出身の無所属地方議員の連絡組織「虹と緑」、新潟県の地域政党「緑・にいがた」(旧「市民新党にいがた」)等がそれに該当する。 2007年12月、みどりのテーブル、虹と緑、そして地域政党の「緑」諸党派は解散・合併し、新たな緑の党結党を目指すと発表した。 三橋派「緑の党」について緑の党 (三橋派)も参照 各国の緑の党および日本の環境勢力とは全く関係ないが、80年代より「緑の党」を名乗るローカルな政治団体があり、各種選挙に出馬したり、関連組織日本ボランティア会が首都圏の各駅前で街頭募金活動をしたりしている。 このグループは毛沢東主義を掲げる日本労働党青森県委員会の分派であり、進化論を否定し、毛沢東思想と東北・津軽の民俗伝承を土台としたナショナリズムを唱えるなど、一般的な緑の党とは政治的背景や主義主張を異にする。(通常の)緑の党と区別するため、指導者三橋辰雄(故人、「盛李春」の別名を名乗ることもある)の名を取り「三橋派」などと呼ばれている。現在の党首は対馬テツ子。機関紙は「日本新聞」だが、街頭募金の際手渡される新聞の切抜きやコピーには見出しである「緊急支援ニュース」などが目に付くようにしてある。機関誌「太陽の道」。かつて関西地区での街頭募金で駅の構内の自動券売機付近でも募金活動を行い、よくトラブルを起こしていた。 かつてはポルポト派を公然と賛美し、日本共産党を激しく攻撃していた。中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対しては好意的で、香港返還は「働く者はみな同じ」社会になるとして歓迎した。なお、緑の党関係者は北朝鮮を「朝鮮共和国」と呼ぶ。 同「緑の党」では、そのフロント組織「緑の会」への入会時、自分のニックネームを決めることを求める。内部では、本名ではなく、その組織名で呼び合うことがよく見られる。 欧米の緑の党とは全く無縁であり、また日本みどりの党など国内の環境政党には批判的な立場だったにもかかわらず、「日本新聞」ではそれらの動向を、脚注も付けずにしばしば報道している。また、「エロ・グロ・ナンセンスに反対する女性の党」を掲げているが、「日本新聞」で性病に感染した女性器の写真を大きく掲載し、わいせつ物頒布罪に問われたこともある。 現在大田区に1人現職区議会議員(野呂恵子)がいる。他の地域でも、区議選を中心に選挙に積極的に出馬。「緑フォーラム」という学習会を定期的に開催。歌声喫茶「銀河JOY」、劇団「荒野座」などを運営。大衆団体「人民同盟」「民族民主教育の会」などを組織。かつては青森県にスーパーマーケット「スーパーみちのく」を経営していた。 かつて三橋は「時がくれば、我々はペンを銃にかえるのが本心」と述べていた。 外部リンク |
This article is from Wikipedia. All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.