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退化(たいか)とは、生物の系統発生の過程で、ある器官が次第に縮小、単純化、時には消失する過程、あるいはその結果を指す。また、個体発生に対して使われる場合もある。 一部に退化という語を進化の対義語として用いる間違った用法が存在するが、退化は進化の一側面であり、退化は進化の対義語では無いことに留意されたい。詳細は後述。
個体発生の場合個体発生の場合、つまり発生や成長の段階で、ある器官やその一部が構造、機能において縮小、萎縮、消失して行く場合に、これを退化と言う。本来の発生過程として起きる場合と、病的な理由など、外的要因で起きる場合がある。 それに対して、系統発生とは、つまり進化のことであり、祖先の形質からある器官やその一部が縮小、萎縮、消失したと考えられる場合に、それを退化と言う。系統発生に関して使われる場合の方が多く、以下に詳しく述べる。 系統発生における退化例えば、ヒトには尾がない。ヒトは分類学上はサル目の1種であり、サル目の動物はほとんどが発達した尾を持つ。また、骨格を見れば、他のサルなら尾のある部分に、それらしい骨(尾てい骨)が見られる。したがって、進化論の立場から見れば、人の先祖には尾があったものが、次第に小さくなったものと考えられる。このことを、ヒトの尾は退化した、というのである。 退化するのは、その生物が使用しない器官であるのが一般的であるが、一概には言い切れない場合もある。ヒトの尾が退化したのは、地上生活するようになり、尾でバランスを取る必要がなくなったからとの説もあるが、類人猿も尾が退化しており、樹上生活のテナガザルもそうであるので、疑問である。使用しないことで退化したと見るとわかりやすいのは、地中生活や洞穴生活の動物に見られる目の退化や消失である。ただし、同様に暗黒の環境である深海では特別に目の発達した魚類が見られる。 なお、退化してもはや有効に働かない器官がその形のみをとどめる場合、そのような器官を痕跡器官と呼ぶ。たとえば、ヒトでは虫垂や耳動筋(ただしある程度は訓練可能)である。 退化と進化進化という言葉が進歩を意味しないのは、生物学上は当然なのであるが、一般には誤解されやすい部分である。それと対応して、生物学における退化という言葉が、生物学における進化という言葉と反対の意味の言葉であるという誤解も広く見られる。今日の学校教育においてすら、国語教育の場では進化の反対語として退化を教える例がしばしば認められる。しかし、これまでにも述べたように、退化は生物の個々の器官に対して使われる言葉である。したがって、その生物全体について使われる進化と対応するものではなく、退化に対する言葉は発達である。 退化は進化のある側面を構成するという考え方が、生物学的には適切である。例えばウマの進化では、平坦な草原を走るための適応として足の中指が発達し、その一方でそれ以外の指は退化した。その結果、現生のウマは一本指である。つまり、ウマの進化では中指以外の足指の退化が重要な役割を果たしているのである。 生物学の用語としての発達は、ある器官が形や構造、機能の点で増大、強化されることであり、その点では退化の反対の意味を持つと言ってよい。しかし、進化における現象としてみると、発達に対して退化が必ずしも単なる反対の現象とはいえない。進化の歴史上で、ある段階で発達した器官が、その後に退化を始めることは珍しくない。しかし、逆に、退化した器官があらためて発達することはまれであり、とくに退化によって消失した器官が、再び復活するという例はまずない。たとえば、鳥類の前足は翼になり、この過程で親指以外の指は退化してしまっている。世界各地に飛ぶことをやめた鳥はたくさんあるが、前足でものをつかむとか、歩くとかのために、指が復活した鳥は一つもない。いずれも、前足をほとんど使わず、嘴と首の器用さに頼るか、片足で立ってもう片足でものをつかむなど、かなり不便そうなやり方で前足の機能を代用している。唯一、南アメリカのツメバケイでは、幼鳥の親指に爪がある程度である。このように、退化による消失の不可逆性のことを、提唱者であるベルギーの古生物学者の名にちなんで「ドロの法則」という。 これらを総合してみると、ある動物群の中で進化の進んだグループというのは、いろんな部分が発達した生物ではなく、むしろあちこちが退化した生物である場合が多い。そのような進化を特殊化という場合もある。生物の歴史を見ると、高度に進化したグループはそれぞれの時代に多数の種を生んだあげく、すべてが絶滅し、むしろ原始的特徴を残した(プリミティブな)グループが生き残り、あるいはそこから次の世代の生物が進化してくる、といった状況が、往々にして見られるが、これはその辺りに理由があるのかもしれない。 なお、退化は個々の器官について生じるものであるが、さまざまな器官が同時に退化傾向を示す例があり、そのような生物では、その体制そのものが退行してしまうような現象がある。特に、寄生性の動物ではその傾向が強く見られる。寄生虫の生活では、摂食器官、消化器官、感覚器官、運動器官などを使う必要が少なく、退化することが多い。それが極端に進んだ場合、例えば消化管が完全に失われ、循環系や排出系も退化し、本来その動物門のもつ基本的構造までもが失われてしまう場合がある。中生動物門は、多細胞ではあるが組織や器官をもたず、原生動物と後生動物の中間に位置するとしてこの名がつけられたが、最近では後生動物が寄生生活によって単純化したものと考えられている。さらに、粘液胞子虫類は細胞内寄生の単細胞生物であるが、近年、どうやらこれも後生動物が寄生生活によって、単細胞段階にまで退行的進化を遂げた結果と言われるようになっている。 退化の原因用不用説その生物が使わない器官が退化する、という現象は一見分かりやすい。ジャン=バティスト・ラマルクの用不用説はそのことを端的に述べたとも言えるが、現象面の記述としてはともかく、進化生物学としては獲得形質の遺伝を含め、納得のできるものではなかった。 現在、生物の形態を説明する主流の理論は自然選択説である。この説は、より適応的な形質をもつ生物個体が、より多くの子孫を残すことで進化が進むとする。しかしこれではよく使う器官が発達することは説明しやすいが、それに比べて、あまり使わない器官が退化することは説明が容易でない。あまり使わない器官とは言っても、全く使わないとは限らない。たまにしか使わない器官が不完全であれば、その方が有利であるとは言い切れないからである。たとえば、穴を掘って暮らしているモグラの場合、よりうまく穴がほれるよう、前足が強力な個体の方が有利であるのは分かりやすい。しかし、普段は地中生活であるとしても、時には地上に出るのであるから、目が全く見えないよりは見えた方がいいと言えるはずである。 エネルギー分配現在、退化はエネルギー配分と費用対効果の観点から説明される。生物はエネルギーを消費して生命を維持する(広義にはエサや成長にかかる時間などが含まれる)。生物が摂取できるエネルギーは有限であるため、重要性が低い部位にまで投資する個体は、そうしない個体よりもエネルギーの配分が非効率的である。不要な器官は退化しており、エネルギー消費の少ない方(効率的な方)が生存に有利であると説明される。 |
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