進化論

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進化論(しんかろん)は、生物が不変のものではなく、長期間かけて次第に変化してきたという考えに基づいて、現在見られる様々な生物は、その変化のなかで生まれてきたものであるという学説。進化が起こっているということを認める判断と、進化のメカニズムを説明する理論という2つの意味がある。

生物が不変のものではなく、長期間かけて次第に変化してきたという考えに基づく変化の過程。生物で言う進化には、進歩する、前進する、より良くなるなどの意味はない。

  • 現代の進化理論では、「生物の遺伝的形質が世代を経る中で変化していく現象」だと考えられている。
  • 進化は実証の難しい現象であるが、生物学のあらゆる分野から進化を裏付ける証拠が提出されており、現代の自然科学において進化はほぼ確実に起こったことであるとみなされている。詳細は、進化の項目を参照のこと。

目次

進化論の歴史

ダーウィン以前の進化論

進化論が登場した背景として、世界各地の様々な生き物の研究、化石の研究で、現代存在する生物以外に多くの生物が存在していたことがわかったこと、生物や種の不変性が疑われたことや、比較解剖学の研究で動物の前肢の骨格構造が似ていることや痕跡器官があることがわかったことなどがある。それらの条件が整ってきたのは、18世紀後半からである。

チャールズ・ダーウィンの祖父であるエラスムス・ダーウィンは、競争や性淘汰による進化を唱えた。

ラマルクの進化論

ジャン=バティスト・ラマルクは、最初は生物が進化するという考えを認めていなかったが、無脊椎動物の分類の研究を進めるうち、19世紀になって、生物は物質から自然発生によって生じると考え、著書『動物哲学』で進化の考えを発表した。

ラマルクは進化のしくみについて、使用・不使用によって器官は発達もしくは退化し、そういった獲得形質が遺伝する。従って非常に長い時間を経たならば、それは生物の構造を変化させる、つまり進化すると考えた。ラマルクのこの説を用不用説と呼ぶが、生物にとって適切な形質が進化するという意味では適応説と考えてよい。彼は、進化は常に単純な生物から複雑な生物へと発展していくような、一定の方向をもつ必然的で目的論的な過程だと考えた。複雑な生物は大昔に発生し、単純な生物は最近に発生した途中の段階のもので、やがて複雑な生物に変化していくと考えた。生前彼の唱える進化の機構には賛同が得られなかったが、ダーウィンはパンジェネシスという考えで獲得形質の遺伝を自説に取り込もうしたし、ネオラマルキストを自称する科学者達は、RNAからDNAの逆転写にその科学的な説明を与えようとすることが知られている。

現在ではその説に否定的な研究者が多いものの、ラマルクの仮説は科学的手続きによって検証される最初の進化論であり、そのことに関して異論をもたれることはない。

チャールズ・ダーウィンの進化論

詳細は自然選択説を参照

チャールズ・ダーウィンは、1831年から1836年にかけてヴィーグル号で地球一周する航海をおこなった。航海中に各地の動物相や植物相の違いから種の不変性に疑問を感じ、ライエルの『地質学原理』を読んだ。そして地層と同様、動植物にも変化があり、大陸の変化によって新しい生息地が出来、動物がその変化に適応したのではないかと思った。1838年マルサスの『人口論』を読み、最初に進化の考えを思いついた、と自伝には書かれている。ハトの品種改良についての研究でさらに考えがまとまっていった。

1858年アルフレッド・ウォレスがダーウィンに送った手紙に自然選択説が書かれていたことに驚き、自然選択(自然淘汰)による進化学説を共同で発表したのは1858年である。

ダーウィンは、1859年11月24日に進化についての考えをまとめ、『種の起源』として出版した。 『種の起源』のなかでは、あらかじめ内在的に用意された構造の展開出現を意味する"evolution"ではなく、"Descent with modification"という単語を使っている("evolution"の原義については下の項目を参照のこと)。自然選択(natural selection)、生存競争("struggle for existence"正確には「存在し続けるための努力」とでも呼ぶべき概念)などの要因によって、環境に適応しうる形質を獲得した種が分岐し、多様な種が生じると説明した。

  • ダーウィンの説の重要な部分は、自然淘汰(自然選択)説と呼ばれるものである。それは以下のような形で説明される。
    • 生物がもつ性質は、同種であっても個体間に違いがあり、それは親から子に伝えられたものである。
    • 他方、環境の収容力は常に生物の繁殖力よりも小さい。そのため、生まれた子のすべてが生存・繁殖することはなく、性質の違いに応じて次世代に子を残す期待値に差が生じる。つまり有利な形質を持ったものがより多くの子を残す。
    • それによって有利な変異を持つ子が生まれ、それが保存されその蓄積によって進化が起こるとした。
  • 生物の地理的分布や性淘汰についても説明した。
  • 当時は DNA や遺伝の仕組みについては知られていなかったので、変異や遺伝についてはうまく説明できなかった。
  • また進化を進歩とは違うものだと認識し、特定の方向性がない偶然の変異による機械論的なものだとした。

ダーウィンは、進化の概念を多くの観察例や実験による傍証などの実証的成果によって、進化論を仮説の段階から理論にまで高めたのである。

ウォレスは、個体間に働く自然選択説とともに用不用説も採用したダーウィンと異なり、集団間に働く自然選択だけで進化を説明しようとした。ウォレスは、性淘汰を認めず、突然変異は優れた方向へ生物が進歩するために起こると考え、後に人間を進化の例外と考えるようになった。

ダーウィン以降の進化論

ダーウィンの進化論は、たくさんの批判・反駁を受けたが、多くの支持も得て、次第に影響を広げていった。この影響は、その後、自然科学の枠外にまで広がった。

1865年に発表されたメンデルの法則は、当時は全く理解されなかったが、1900年に再発見されて広い支持を得た。メンデルの遺伝子に関する説では、遺伝子は親の生活とは何の関係もなく、全く変化せずに子孫に受け渡されるため、これを認めれば進化論は成立せず、ダーウィニズムを批判する理論とされた。当初、自然選択によって連続的変化を起こすと考えていた生物測定学派と、不連続的な変異を重視する遺伝学者が対立していたが、遺伝子の研究の進展によって、連続的な変異もメンデルの法則で説明できるようになった。

突然変異は、ド・フリースによって発見された。これによって、遺伝学からも、遺伝子に変化を生じる可能性、つまり進化の起きる可能性が認められた。ド・フリースは、自然選択とは無関係に突然変異によって新しい種が生じ、生じた種の間に自然選択が起こるという突然変異説を提唱した。

その後、突然変異の詳細が分かるにつれ、突然変異が直接に新種を生み出すことはまずないと考えられるようになった。そして、突然変異という現象は、個体に遺伝的変化を生じさせ、種内の遺伝的多様性を増加させる要素として、自然選択説の中に取り入れられるようになった。突然変異で生じた様々な形質を持つ個体間での自然選択によって進化が起きる、という考え方である。

1930年代に確立された集団遺伝学では、遺伝子頻度の変化を進化と考え、その要因の説明に努力が注がれた。

こうした新たな学問分野の確立や研究の進展によって、ダーウィンの自然選択説を基本にしつつ、集団遺伝学系統分類学古生物学生物地理学生態学などの成果を取り入れて生物の形質の進化を説明することが主流になった。これを総合説ネオダーウィニズム)と呼ぶ。
総合説に関わった生物学者は多く、唱えた説は少しずつ異なる。総合説を批判する論者は、総合説の中の特定の意見を総合説と見なして批判していることが多い。

ところで、ダーウィンの学説に立脚する進化論では、生物の進化の方向は全く偶然に生じる突然変異に委ねられており、自然選択は有利な突然変異が生じなければ意味をなさない。このことに納得できない研究者が、生物自身が進化の方向を決めているはずだという説を出すことが再三あった。特に、長い期間の変化を追う古生物学者などにその例が多い。そのような考えをネオ・ラマルキズムと言う。

定向進化説を唱えたアイマーがこの代表である。彼は化石の記録を見て、生物に内在する力が原因で、適応的かどうかとは無関係に一定方向に進化が起こると主張した。今西錦司の進化論にもその傾向がある。これらの説にはダーウィン同様機構上の支持がないが、ダーウィンとは違い否定される傾向にある。ただし後述の通り、最近の研究には今西やアイマーが予言していたと思えるような報告がされるようになっている。

ワイスマンは、生殖細胞体細胞を分け、次世代に形質を遺伝させることができるのは生殖細胞だけで、体細胞が獲得した形質は遺伝しないと主張し、獲得形質の遺伝を唱えるネオ・ラマルキズムを批判した。また、分子遺伝学的知識からも、こうした説は否定されている。

しかし、現在はそもそも突然変異と言われたゲノム上の変異はランダムではなく、DNAの修復機構や複製機構に根ざした、方向性のある変異であるという理解がされつつある。例えば大野乾は複製における遺伝子重複が進化に果たす役割を説き、古澤満岡崎フラグメントによるDNA複製において、一方の鎖は突然変異の確率が高いという不均衡進化論を唱えるなど知られている。また、個体数動態の変動に伴う創始者効果ビン首効果、個体群の周辺に進化が起きやすいと言った生物の社会集団における動的不平衡に着目したものや、カウフマンのように自己組織化による形質形成を重視した説もある。これらはダーウィニズムとは無関係に強調されるべき議論だろう。こういった議論の下敷きになっているのは、1968年に発表された木村資生中立進化説である。

変異自体は、生物にとって有利なものは少なく、実際は生物にとって有利でも不利でもない中立的なものが多いが、それが遺伝的浮動によって偶然広まることで進化が起こると考え、適応的な進化については自然選択が進化の原動力になるとする説である。モーガンも、中立説に似た考えを1932年に提唱したと言われている。自然選択が働かない中立的な変異があることは、ダーウィンが述べ、また木村やドーキンスも、中立説はダーウィニズムの範疇であることを強調するが、現在の進化学においてそれとは無関係に重要な説である。例えば種分化の起きた時期を調べる分子時計は、中立説を理論的根拠としている。近年発達した分子生物学のDNA研究によって、生物のDNAに刻まれている遺伝情報の類似性をもとに生物進化の系統図を構築する研究が進められている(分子系統進化学)。

ダーウィンの進化論の中で、「共通祖先からの進化」「集団内の変異の変化によって生じる進化」「分岐」「適応的性質の進化における自然選択の役割」らは現在の進化学においても揺るぎのない枠組みとなっている。

現在、集団遺伝学、生態学、生物地理学、古生物学などの総合的な分野として発展してきた進化学は、さらに、分子生物学、進化ゲノム学(Evolutionary Genomics)、進化発生学( Evo-Devo)、進化医学など、様々な分野の進展を取り込みながら、確立された科学の一分野として発展している。近年、発表される様々な報告や機構の提唱などは、基本的にダーウィンの考えた大まかな進化の枠組みを基盤として、さらに発展させる方向に進んでいる。

「進化」「evolution」という語

英語の evolution という語は元来ラテン語起原で、内側に巻き込んでおいたものを外側に展開することを意味しており、現在でも「展開」の意味で使われる。最初にこの概念が生物学に援用されたのは、発生学前成説においてであり、個体発生に際して「あらかじめ用意された個体の構造が展開生成する」プロセスを指していた。今日の日本語で「進化」と翻訳されるような系統発生のプロセスを指す語としての evolution は、個体発生のこの概念を系統発生に対して援用したものである。みずからの進化論において定められた方向への「進歩」を意図していなかったチャールズ・ダーウィンは、当初かれ自身はこの語を積極的に採用していない。

19世紀頃は、進化進歩と同義であった。その頃のヨーロッパではフランス革命啓蒙思想などの普及によって、人間社会が発展のさなかであり、多くの人がそれが生物の進化と同じものであると主張していた。それは神による創造の原点こそが最高の状態で、歴史のプロセスはそこからの堕落による神からの離反であるととらえるキリスト教的生命史観のもたらす不安からの救済思想でもあった。20世紀には、社会的、文化的変化が進歩と厳密に同義であるという考え方は多くの社会科学者から受け入れられないものとなっている。また現在では一般的に、ダーウィンの進化の説明の解釈についても、生物の変化は進歩とは異なるものとして捉えられている。

19世紀以降は、進化と言った時は、社会や文化のそれでなく、生物の進化を指す。この生物の進化とは、ある生物の集団がある世代から次の世代に代わるときのアリル頻度の変化を意味する。それは、簡単に言えば、すなわちチャールズ・ダーウィンの自然選択のアイデアに基づく種の進化論そのものでもある。「進化」は、単に事実を記述する語に過ぎないのであって、それ自体が価値判断を含むわけでなく、その意味で「進歩」とは異なるのである。にもかかわらず、進化と進歩の混同、事実と規範の混同はしばしば見られ、後述するソーシャル・ダーウィニズムもその誤解の産物であった。

現在の日本において、一般的に「進化」という言葉が使われている場合、学術的に厳密な「進化」ではなく「進歩・グレードアップ」というニュアンスで用いられ、本来の「進化」もそうであるかのように認識されている。

進化論と社会科学

19世紀後半にハーバート・スペンサーは自然選択説を社会に適用して、最適者生存によって社会は理想的な状態へと発達していくという社会進化論を唱え、ヘッケルは国家間の競争により、社会が発達していくという社会進化論を唱えた。スペンサーは生物は下等から高等へと進歩していくというラマルクを高く評価していたと言われており、進化に目的や方向性はないと考えるダーウィニズムではないと思われる。その主張は優生学とも異なる。その例によくあげられるナチズムは進化論の原理原則とは対立しており、関連付けるのは不可能である。

以下のナチズムの主張は進化論とは全く相容れない。

  • 人為的に他民族を絶滅し、固定化する→分化、多様性や変異の否定
  • 優等人種であるアーリア人と劣等人種であるユダヤ人の生殖では前者の形質が後者に劣ってしまう→適者生存の否定
  • 進化の原動力は意志→適応や順応などの否定

20世紀後半には、エドワード・オズボーン・ウィルソンがその著作『社会生物学』(1975)のなかで、進化論的社会生物学が将来、人間についての社会科学に大きな影響を及ぼすだろうという展望を述べて、大論争をひきおこした。その初期の批判のなかには、ウィルソンや社会生物学の主張をナチズムにむすびつけたものもみられたが、論争を通じて、そうした批判は誤解にもとづくものであることが次第にあきらかになった。この論争の経緯については、社会学者ウリカ・セーゲルストローレがその著作『真理の擁護者たち』(邦訳『社会生物学論争史』)のなかで詳細かつバランスよくまとめている。

進化論と宗教

「生物は進化する」というテーゼは現在では科学的事実として受け入れられているが、社会的に受け入れられているとは限らず、特に宗教右派の反発は大きい(進化論裁判も参照)。アメリカ合衆国のいくつかの州では、プロテスタントの一部に根強い聖書主義の立場から進化論が否定されている。ケンタッキー州には、進化論を否定する博物館Creation Museumが建てられている。

キリスト教根本主義者の創造論では、宇宙の始まりから現在までの過程についても聖書に誤りが無く、旧約聖書創世記』の記述が文字通り正しという聖書無謬説をとり、生物種はそれぞれ独立に創られたとしているが、高等批評学文書仮説は聖書に誤りと矛盾があると考えるため、『創世記』の第一章天地創造でエロヒム(普通名詞エルの複数形、日本語訳では「神」と訳されている)が植物・動物・人(男と女)の順で天地を完成させた後、第二章では、固有名詞ヤハヴェ・エロヒム(「主なる神」と訳されている)がアダム・植物・動物・女イシャー(後にイブという名になる)の順に創ったという記述を矛盾とし、創世記の記述を文字通り真実だとするのは不可能だと主張する[1]

カトリック教会では1996年10月にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、「進化論は仮説以上のもので、肉体の進化論は認めるが、人間のは神に創造されたもの」だと述べた。つまり、人間の精神活動の源泉たる魂の出現は、進化論的過程とは関係ないとする限定つきで、進化論をキリスト教と矛盾しないものと認めた。

近年アメリカ合衆国のいくつかの州において、宇宙や生命を設計し創造した存在を認めるインテリジェント・デザイン説(ID説)を公教育に取り入れようとする動きがある。インテリジェント・デザインでは、極めて精妙な生物の細胞や器官のしくみを例に挙げて、「複雑な細胞からなる生体組織が進化、自然淘汰などによってひとりでにできあがったとは考えられない。従って創造に際しては『高度な知性』によるデザインが必要であった」といった主張がなされており、創造論に科学的根拠を持たせようとしている。ジョージ・W・ブッシュは「平等のために進化論のみならずインテリジェント・デザインも学校の理科の時間に教えるべきだ」と主張した。2005年11月、カンザス州教育委員会は多数決の結果ID説の立場を採り、進化論を「問題の多い理論」として教える科学教育基準を採決した。この決定にあたり、ID説を支持する創造科学者たちを批判するために作られたパロディ「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教団」が登場し、ネット世論を大いに沸かせた。

保守的なイスラム教でも進化論は否定される。イスラーム原理主義の方針をとるアラブ イスラーム学院のウェブサイトには進化論を否定する文章が掲載されている。実態は変態に近いと言えるポケットモンスターの進化もハラーム扱いを受け、カードを交換して収集するポケモンカードゲームの遊び方がイスラムで禁じられる賭博にあたるとされたことも併せて、保守的なイスラム諸国ではポケモンのゲームやグッズの販売制限が行われるに至った。詳しくはポケットモンスター#ポケットモンスターに関する様々な逆風の「イスラム諸国」の欄を参照。なお、イスラム系新宗教バハーイー教アブドゥル・バハー書簡の中で進化論を否定している。

このように宗教からの反対を受けてきた歴史のある進化論であるが、オカルトニューエイジの分野では教義への取り込みが行われてきた。意識や霊性の進歩・向上を「進化」と呼称するのが代表的な例である。ルドルフ・シュタイナーブラヴァツキー夫人のように、著書のなかで神秘学的な教義に基づいた人類進化の過程を記した人物もいる。

進化論の学説

脚注

  1. ^ 伝統的にキリスト教会は創世記を含むモーセ五書の記者をモーセとし、創世記の記述を矛盾したものとは考えなかったが、ジャン・アストリュック(1684-1766)がエロヒムとヤハウェの名に注目して創世記を二つの部分に分けた。またアイヒホルンは創世記が合成文書であるとした。さらに文書仮説はモーセの著者性を否定した。ここから創世記が矛盾しているとする立場がリベラル派では主流となった。

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外部リンク

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