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青葉区(あおばく)は仙台市を構成する5区のうちのひとつで、合併前の旧仙台市の北部・中央部と旧宮城郡宮城町からなる。区の東部は江戸時代から仙台の中心である。
地理詳細は仙台の地形を参照 区の西部にある奥羽山脈より東流する広瀬川とその支流の流域に従って、東西に細長い形の区となっている。区内の奥羽山脈は、船形山と蔵王連峰の間であまり高い峰々がなく、西からの雪雲が入り易いため、区の西部の旧宮城町は豪雪地帯に指定されている。しかし、その低さ故、関山峠(国道48号)で山形県村山地方に通じている。 区西部の旧宮城町は、愛子盆地を中心とした地域で、青葉山丘陵によって区東部と地形的には分断されている。青葉山丘陵の北部はベッドタウン、丘陵の東端の青葉山には仙台城や東北大学川内キャンパスがある。丘陵の東側は広瀬川の河岸段丘になっており、仙台市役所、宮城県庁、仙台駅、東北大学片平キャンパスなど、市の主要施設が集中する仙台市都心部を構成する。区の東端は仙台駅と東北新幹線・東北本線で区切られる。なお、青葉山丘陵によって分断されている区の東西を結ぶ主要交通路は、国道48号(仙台西道路・愛子バイパス)やJR仙山線が担っている。 山岳
河川湖沼沿革面積の大半を占める旧宮城町は、1987年に仙台市に合併した。現在の宮城総合支所は、宮城町役場の場所と管区を受け継いだものである。青葉区は、1989年4月、仙台市が政令指定都市になった時に設けられた。発足時の人口は24万5881人であった。 区名は区内にある仙台城の雅称の「青葉城」や「青葉山」に由来する。また、伊達政宗を祀る同区青葉町の青葉神社や仙台・青葉まつりなど、青葉という言葉は「仙台」を表す記号でもある。青葉区は区名公募の1位であり、2位は中央区、3位は広瀬区であった。公募を受けて選定した仙台市区名選定委員会は、方位は地名としてとらず、広瀬は将来の分区の際の有力候補として残すべきだという理由を添えて、青葉区を推した[1]。 宮城地区(旧宮城町)分区問題青葉区の旧宮城町地域(青葉区西部:青葉山丘陵の西側。愛子盆地を中心とする)は、合併時の取り決めにより、旧町内の人口が5万人に達したら分区することになっていた。合併時の旧宮城町の人口は29,093人(1987年)。もし分区されるのであれば、区の名称は「広瀬区」が有力と言われている。それは、旧宮城町が、旧広瀬村と旧大沢村の合併によって出来た町であることと関係がある(それぞれの村の記事参照)。 1990年代1996年(平成8年)に旧町内の人口が5万人を突破した際、分区するかどうか話し合われたようであるが、バブル崩壊で地価下落に突き進んでいた当時、仙台市内における青葉区ブランドを捨てて新たな仙台市最小人口の区となることは、人口の流入を減らし、更なる地価下落を助長することも考えられ、実施不可能と判断された。 また、青葉区を旧仙台市部分(青葉区)と旧宮城町部分(新設区)とに単純に線引きしてしまうと、南吉成などの青葉区成立後に主に開発が進んだ旧宮城町に帰属意識が無い地区の反対が考えられたり、折立地区が青葉区の飛び地になってしまったりする等の問題があった。現在でも当該地区は宮城総合支所が管轄しており、市政便りにも毎月注釈が書かれている。 折立地区は、地形的には愛子盆地の一部であるが、蕃山丘陵によって分けられる生出盆地と愛子盆地を結ぶ交通路にあり、江戸時代には伊達家家臣の茂庭氏の知行域であった。その知行域を受け継いだ旧名取郡生出村は、折立地区とともに1956年に仙台市に編入合併された。結果的に折立地区は、愛子盆地のその他ほとんどを町域としていた旧宮城町地区に現太白区から突き出た形となった。政令市化の際、折立地区は、旧市町の境界を尊重して太白区に入るよりも、愛子盆地を構成する一地区として旧宮城町と共に青葉区に入った。このような経緯のため、旧宮城町地区が分区した際は、太白区と新設区の間に挟まれた青葉区の飛び地になる可能性がある。なお、折立地区は、仙台宮城IC・国道48号(仙台西道路・愛子バイパス)、仙台北環状線・仙台村田線など、仙台西部の主要幹線が集まる交通の要衝である。 現在現在の旧宮城町の推計人口は64,809人(2007年7月1日。折立地区の人口を含んでいない値[2][3])となっており、合併時から倍加して、今もなお増加傾向を示している。また、青葉区発足時の人口24.6万人から現在の28.2万人への純増分3.6万人の内、3.5万人分が旧宮城町の寄与分に当たり、近年の青葉区の旧仙台市部分の人口減少の中(仙台市都心部は都心回帰で人口増、バブル期前に開発された古いニュータウンは人口減)、旧宮城町の人口増が青葉区全体の人口増を支えている。 旧宮城町地区(愛子盆地)の中心は、旧広瀬村のJR仙山線・愛子駅から陸前落合駅辺り(広瀬地区、または愛子地区と呼ばれる)となっており、それぞれ駅前開発も進んでいる。仙山線と並走して愛子盆地を東西に貫く国道48号・愛子バイパス沿いでも、農地指定が次々解除されて土地区画整理事業が開始され、都市化が進んでいる。旧大沢村(大沢地区と呼ばれる)の方は、平地は農地が主で、丘陵地は住宅地となっている。また、旧仙台市との境界部分(青葉山丘陵)を弧状に走る仙台北環状線沿いの南吉成地区にも、ロードサイドショップを中心とした商業や人口の集積がある。折立地区では、折立小学校・中学校が合併後に旧宮城町の郷六地区からの生徒を受け入れており(旧宮城町時代に郷六地区は広瀬小学校、広瀬中学校の学区だった)、愛子盆地内の一体化も進んでいる。 このように、折立地区が青葉区の飛び地にならずに一体的に新設区に移行できる土壌が醸成されつつあり、また、合併時の取り決めにおける分区の目安となる人口を充分上回っているが、現在のところ分区の議論は進んでいない。将来、人口10万人以上になり、且つ、副都心が形成されるなどして他の区と遜色無い経済力に達さないと、分区するに到らないと考えられる。 ちなみに、郵便の集配拠点は、落合や郷六地区は郵便事業新仙台支店愛子集配センター管轄で、折立・西花苑地区は郵便事業新仙台支店(かつては仙台生出郵便局が集配局であったが、宮城県の地域区分局の変更と太白区の集配局をすべて集約、一本化したことにより、現在の形に変更されている)管轄となっている。ここでも昔の名残が残っている。 愛子副都心構想「愛子副都心」構想とは、1987年(昭和62年)の宮城町と仙台市との合併建設計画、および、1990年度(平成2年度)発表の「仙台市総合計画2000」に記載されていた副都心建設計画。旧宮城町役場(現・宮城総合支所)があるJR愛子駅周辺の再開発と都市機能集積、および、仙台市営モノレール南西線計画を謳っており、旧泉市に対する泉中央副都心整備計画と同様、合併の際のバーターであった。現在、当該地域の整備計画は「西部地区の拠点整備」という言葉に置き換わっており、副都心としての指定は曖昧化されている。 なお、愛子駅周辺は「愛子中央」に住居表示が変更された。また、都市化に不可欠な下水道は、旧宮城町域における整備率が政令市移行時の2.4%から現在92.5%にまで改善されている。 産業詳細は仙台市都心部を参照 ここでは、青葉区中心部の産業について述べる。多くのビル群には中央企業の仙台・東北支店が入居し、支店経済都市と呼ばれる所以となっている。仙台駅前から東一番丁通りにかけては中央通りのアーケード街が並ぶ、東一番丁通り(市役所前から南町通りにかけて)も一番町アーケード街が形成されている。近年では交通事情の改善から商圏は広がっており、県内はもとより、山形や福島からの客も訪れる(→仙台経済圏)。 飲食産業国分町及び周辺は歓楽街となっており、飲食店やバー、クラブ等が軒を連ねる。景気の良い時代には「不夜城」と呼ばれていた。国分町のメインの通りを外れると庶民的な飲食店や飲み屋が並ぶ。 郵便
地域
教育詳細は学都仙台を参照 上杉山通小学校・上杉山中学校、広瀬小学校・広瀬中学校は、文部科学省が推進する「学力向上フロンティア」指定校(フロンティアスクール)である。また、それぞれの小・中学校間で連携をとっている。 幼稚園
小学校
中学校
高等学校
大学・短期大学・高等専門学校特別支援学校交通鉄道中心となる駅:仙台駅 バス道路高速道路一般国道県道その他名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事城郭
寺社公園・レジャー施設博物館・美術館温泉祭り詳細は楽都仙台を参照
商業施設青葉区出身の有名人詳細は仙台の著名人一覧を参照 注外部リンク
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