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14世紀(じゅうよんせいき)とは、西暦1301年から西暦1400年までの100年間を指す。
14世紀の歴史世界13世紀にユーラシア大陸を覆っていたモンゴル帝国は弱体化し、アジア各地に明王朝やティムール帝国、オスマン帝国など地域的な新しい国家が誕生した。14世紀のヨーロッパでは黒死病により人口が大きく減少した後、イタリアルネサンスにより、新しい時代へと大きく転換した。 日本鎌倉時代後期および室町時代初期(南北朝時代の全期間を含む)にあたる。 できごと
14世紀の日本14世紀の日本は、時代区分上では中世、鎌倉時代後期から室町時代の初期に当たる。 2度に渡る元寇を撃退し、得宗権力を強めた鎌倉北条政権であったが、武士たちに募る恩賞の不満や徳政令の発布、霜月騒動、平禅門の乱などによる政治的混乱で北条得宗政権への不満を招いていた。→鎌倉時代 後醍醐天皇の討幕運動に足利尊氏・新田義貞らの活躍でより鎌倉幕府は滅亡し、後醍醐天皇は建武の新政と呼ばれる天皇親政を開始する。新政は恩賞の不満と革新的な改革により混乱し、足利尊氏は京都に室町幕府を開き北朝を立て、吉野に逃れ後醍醐天皇の南朝と対立する南北朝時代が開始される。 その後南朝の勢力は衰亡するが、観応の擾乱と呼ばれる足利尊氏と弟直義が対立する内紛が起こると、南朝は混乱に乗じて息を吹き返す。2代将軍足利義詮、3代足利義満の時代まで抗争は続き、室町幕府内部での政治抗争により有力守護大名が南朝に奔るといったパターンを繰り返す。今川貞世が九州へ派遣されて平定を完了すると、室町幕府の権力は確立され、1392年に足利義満により南北朝の合一が行われる。これより前の1379年には康暦の政変と呼ばれる室町幕府の政治事件も起こっており、これ以後義満は1391年に明徳の乱、1399年に応永の乱を自らのイニシアチブによって誘発して対抗勢力を駆逐し、やがて天皇の権威にせまる将軍権力を確立する →室町時代 元寇により日本と元朝の公式の通商は途絶えたが、天龍寺船などの寺社造営資金の調達のための貿易船(寺社造営料唐船)の派遣や、留学僧の渡来など、ある程度の交流は続いていた。14世紀の東アジアには倭寇と呼ばれる海上勢力が活動しており(14世紀の倭寇は「前期倭寇」と呼ばれる)、中国で1368年に成立した明朝では、日本に倭寇鎮圧を求めており、この頃九州に割拠していた南朝勢力である懐良親王は明の使節を迎えて冊封を受ける。15世紀に入って足利義満が冊封を受けなおして「日本国王」となり、大陸との交流は絶頂を迎える。 朝鮮半島でも李成桂が倭寇征伐を行っており、李氏朝鮮が成立する。琉球では中山・南山・北山の三山時代を迎えて、いずれも明に朝貢をし、高麗にも使節を送っていた。三山のうち中山が勢力を拡大し、15世紀に琉球王国の成立にいたる。→琉球 人物世界
日本
10年紀と各年記事が少ない間、各年、10年紀は14世紀へのリダイレクトです。 |
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